天安門事件、振返りーー30年前、民族の自由と安定のために奮闘した方々へ@2019

2021年6月3日

北京包囲
多くの人は天安門広場は衝突の一番激しい所と思ったが、広場までの途中では多くの暴力な衝突、死傷があった。多くの病院は負傷者で満員になり、治療の遅延により犠牲した負傷者もいた。復興医院の霊安室が満室のため、屋根付き駐輪場に一時搬送した所もあった。
北京自営業者中心で、市民は自発的に「飛虎隊」を立上げ、まちの中で走り回って、軍の動向などの最新情報の拡散や、負傷者の搬送、救助の手伝いなどを行った。

6月4日朝、静粛部隊は天安門広場を包囲した。この時点では多数のデモ者は撤退し、数千人の学生と市民は残って抗争し、一時的に大火があった。 軍の侵攻が一時止めれたが間もなく制され、約三千人の学生が軍に人民英雄記念碑に包囲された。youtube上正反認識は交じてる
下記の写真は、天安門広場で、大規模虐殺の証拠としてあらゆる所で広がってるが、実は83年頃、行われた パフォーマンスアート、2匹の犬の屍体の写真だったそうで、人間ではありません。

ウィキリークスからの動画:米は最初から天安門の虐殺がないと分かった

四君子の交渉と撤退
6月4日朝3時、侯徳健、劉暁波、周舵、高新は残った学生の撤退を説得しようとし、軍から奪ったガンを壊し、手を頭上にあげ、軍隊方向へ撤退するために交渉を求めに行き、軍に認められた。
4時、天安門広場消灯、軍から静粛し始め学生撤退するようスピーカでアナウンスした。
学生は撤退と継続の声で投票し、撤退を決めようと、投票の提案者は撤退の声が大きいと判断し、撤退を決定した。
4時45分、学生は東南口から、速やかに退場し始めた。
5時40分、学生の退場ほぼ完了した。

タンクマン
6月4日昼、軍は天安門広場を制したが、戒厳は継続し、軍のパトロールは行っていた。
6月5日、一列の戦車は天安門前の長安通りで行進した時、1人のシャツ着る男子は自ら戦車の前に立ち、戦車の行進を止めた。回って越えようと試みたが、ダメだった。外国記者は映像を撮影した

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